再上映を記念し様々な分野のアーティストやクリエイターの皆さまよりご視聴コメントをご寄稿頂きました。(ご紹介は順不同です) 花譜 理芽 春猿火 幸祜 CHINO NEFFY MYU VITTE RARA 佳鏡院(少女革命計画) 御莉姫(少女革命計画) 硝子宮(少女革命計画) 氷夏至(少女革命計画) 夕凪機(少女革命計画) 美古途(少女革命計画) 詩道 Guiano Misumi 平田義久 梶裕貴 くりたしげたか 山田悠介 鈴木貴雄 はらだ 相沢梨紗 AZKi おめがシスターズ おめがリオ ロシアン佐藤 オクソラ ケイタ Aimi 大島健 HAO 川口ケイ 関優梨子 ミ子 針原翼(はりーP) 事務員G RIRIKO おむたつ +α/あるふぁきゅん。 煮ル果実 kevin mitsunaga (fhána) nero Kuroyabu Takuya アメリ un:c 長棟航平 モリスレイ 吉乃 jon-YAKITORY 是 コバソロ さぶろう こはならむ LowFat(FantasticYouth) Migu(つきみぐー、) アヤハラヨウ グミ山(キツネリ) N-Roach(キツネリ) すこっぷ うみくん ユウキP おしら いよ R Sound Design 黒野京 てにをは 秦千香子 ササフネ Noz. S!N 殿部ゆい yuju 花雪 かなしの 担当編集者 花譜 バーチャルシンガー 自分でさえ計り知れない怒りやさみしさ、憎しみ、愛しさ。 どうしたって消えない感情を抱えたまま、大好きな人の隣でどこまでも安心してしまうような一瞬。 不安定で曖昧な心の機微を、繊細に奥の奥まで映すような物語と、 身体中に巡る衝動をそのまま音と言葉にしたようなカンザキさんの歌が、継ぎ目なく繰り広げられていって、 気づいたときにはカンザキさんの世界に覆われているみたいな、映画のようなライブでした。 むき出しの魂に目がはなせなくなったり逸らしたくなったりしながら、 やっぱりカンザキさんの歌はどこまでもカンザキさんそのもので、 張り詰めた気持ちに雪崩を引き起こすような凄まじいパワーは、カンザキさんが歌うことでしか生まれないと思います。 そして「ここでしか見られないカンザキイオリ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! !!!!!!!!!」な、 新鮮でカッコ良すぎるお姿もたくさん見られて、嬉しかった…知れば知るほど好きになっていく。ずっと大きな背中や…( ; ; ) 理芽 アーティスト / バーチャルシンガー 真の「自由」とは何か、「自由」とどう向き合っていくべきか、 自分に問いかけながらその答え合わせをしていくように没入してしまった。 ある種の天才教材かと思うほどに。 織り成す音楽と物語が溶け合いすぎて境界が見えない、まるでミュージカルを鑑賞しているような感覚に包まれた。 飛びたいと願いもがいても羽ばたき方を知らなければ空は飛べないし、 急に解き放たれてもどこへ向かえば良いのか分からない。 今まで鳥籠は「束縛」だと思っていたけれど実は守られた「自由」だったのかもしれない。 無責任なわがままを「自由」と履き違えていたのかもしれない。 自由=Freedom? それともLiberty? きっと正解はない。 けれど、きっと「自由」になるための「制限」がそこにはあるのだろう。 きっとこれからも私は「自由に捕らわれる。」 カンザキさん、最高。 春猿火 バーチャルシンガー 「自由に捕らわれる。」再上映決定おめでとう御座います。 自分はまずこの「自由に捕らわれる。」という楽曲がずっと大好きで、 この楽曲の中にある芯の情景をこの映像作品として見た時に、 自分の中にある感情が湧き上がってくる感覚がありました。 人と心を通わす事、向き合う事、難しい事、 ドラマや音楽を通して想いの温度を感じる作品でした。 そしてカンザキイオリさんが届ける物語と音楽が連動した 新しい映像体験はきっと皆さんにも響くはずです。 是非ご覧頂きたい作品です。 春猿火 幸祜 アーティスト 皆様こんにちは、KAMITSUBAKI STUDIO所属の幸祜です。 カンザキイオリ 3rd One-Man Memory「自由に捕らわれる。」を視聴させていただきました。 カンザキくんが紡ぎ出す楽曲とshort filmのリンクした演出に衝撃を受けました。 まるで心の中を覗かせてもらっているようで、綺麗でもない嘘でもない、 いや本物なのかすら分からない"人の感情"という目に見えない物が ストーリーとなって目に焼き付きました。 そしてこのMemoryを見終えた後、私はそっとベランダに出たくなって夜の風を浴びました。 きっと私は家の中にいるのがすごく窮屈だったんだなと気付き、 何か動き出したくなる衝動にかられたんです。 それはカンザキくんの心の声が音楽と歌声、 そして叫びとなって私の中の蓋をしていた"感情"に脈を打ってきました。 皆様もきっと気付かぬうちに蓋をしている"何かの感情"が動かされる最高の作品です。 カンザキくん、ありがとう。 幸祜 CHINO VALIS 「自由」ってなんだろう。 私が小学生の頃、色んな遊びを教えてくれたり、生徒同士の争いごとにも寛容で、 いつも朗らかで頼りになる大好きだった先生が、「自由の裏には責任がある」という言葉を教えてくれました。 大人になることや自由だからこそ抱える不安があることを微塵も知らなかった当時の私は、 その言葉の意味を分かっていたようで全然理解していなくて、ただ漠然と「大人って自由でいいなぁ」と憧れを抱いていました。 作品を観ていく中で、そんな幼い頃の自分をふと思い出しました。 映像・物語が進むと共にカンザキさんの音楽に刺激を受け、何より「生」を感じる歌声に涙し、 カンザキさんの言葉や歌に触れる度に、何を見て、感じて、生きてこられたんだろうと、 どう生きてこられたらこんなにも美しい詩を紡げるのだろうと考えさせられます。 作品を通して、縛られる苦しさや歯がゆい感情から自由を求めることも、 縛られていた方が心地よいからと自由を求めないことも、 結局は「自由」というものに捕らわれてしまうということなのかもしれないと感じたのと同時に、 自由であることの楽しさも苦しさも抱えながら、自分の気持ちにもっと丁寧に寄り添って生きていきたいと思えました。 素敵な作品を世に生んでくださってありがとうございます。 そしてこの場を借りて改めてお礼を言わせてください。 カンザキさんに楽曲提供していただいた「乙女的サイコパシー」と「奪還シンデレラ」は、 私たちVALISにとってとても思い出深い楽曲です。 一生の宝物を本当にありがとうございます…! この先もずっとカンザキさんの紡ぐ世界を楽しみに、そして益々のご活躍を心からお祈りしております。 NEFFY VALIS 3rd One-Man Memory「自由に捕らわれる。」の上映おめでとうございます! カンザキさんの楽曲や歌声から感じることのできる情景がショートフィルムでのストーリーによって更に鮮明に感じられて、 自然と自らの人生や価値観も振り返ってしまうような圧巻のひとときでした! カンザキさんの楽曲はどの曲も言葉で言い表せないような人間の心の奥深い本音を掴まれるような感覚になれて大好きです✨ 素敵な作品がもっともっとたくさんの方に届きますように…♡ MYU VALIS カンザキさんの楽曲と映像が丁寧に呼応し合い、「自由に捕らわれる。」というテーマが強く伝わってきました。 感情の揺れや余白が際立ち、すごく惹き込まれました。 個人の物語だけでなく、誰の中にもある感覚として響いてくるような普遍性もあり、何度でも見返したくなりました。 VITTE VALIS 3rd One-Man Memory「自由に捕らわれる。」 上映おめでとうございます㌨ですッッ❕😸♡ 入りから最後まで 本当に思わずずっと見入ってしまう映画で 、 カンザキイオリさんの音楽の意味がより強く伝わってきて最高でしたにゃん ……❕😿♡ "自由"について 音楽で人に伝えることが出来る感情の無限の可能性について すごく考えることの出来る作品です❕😼♡ RARA VALIS カンザキイオリさんの3rd One-Man Memory『自由に捕らわれる。』 この作品が再びスクリーンに戻ってくること。 とても尊く、そしてとても嬉しく思います。 ストーリーとライブが交差する構成がとても印象的で、 物語には心の深層へと静かに潜っていくような没入感があり、 想いや痛みに寄り添いながら響いてくる歌の力に強く惹き込まれました。 魂がそのまま叫んでいるかのような歌声、歌詞の深さ、全身で歌う姿から溢れ出る表現力の凄まじさ、 音楽と感情が一体になっていく様子に圧倒されるばかりでした。 心の奥底で抱えている感情たちを歌うその姿には、深く共感し、時に発見させられ、自然と涙が溢れました。 自分自身も奮い立たされましたし、アーティストとしての尊敬が止まりません。 この作品に出会えたことに、心から感謝しています。 そしてこの作品とカンザキさんの歌が、多くの方々の心に届くことをそっと願っています。 佳鏡院(少女革命計画) Xtuber singer 「自由に捕らわれる。」再上映決定、おめでとうございます! 楽曲と繋がりのあるショートフィルムと、ショートフィルムの内容にリンクするような衣装や照明、 舞台セットを用いたライブシーンを行き来することで、これまで楽曲や小説を単独で楽しんでいた時よりも、 音楽の奥に人の生活を、想いをより強く感じることができる作品だと思います。 力強い音楽と繊細な映像がカンザキイオリさんの紡ぐ言葉によって重なり合い、自分の大好きな楽曲たちが彩られて行く。 そんな素敵な映像作品を是非、映画館で体験してみてください。 御莉姫(少女革命計画) Xtuber singer 自分の内側にある言葉にならない蟠りや、 見て見ぬふりをしてしまうような感情にそっと触れてくるような楽曲は、 苦しさや孤独といった自分の心の痛みと向き合う感覚です。 でもそのネガティブな感情さえも肯定して貰えているような温かい気持ちになりました。 小説と音楽を組み合わせた構成や演出はまるで映画を見ているような没入感で、感情を揺さぶられました。 硝子宮(少女革命計画) Xtuber singer カンザキイオリさん、3rd One-Man Memory「自由に捕らわれる。」の再上映おめでとうございます。 「自由」とは「愛」とは何か、深く考えさせられる素敵な作品でした。 そして、Short Filmとカンザキさんの歌が交互に切り替わる構図が 夢を通して他の人の人生を覗いているようで、気付いたら涙が出ていました。 明日から、視える世界がすこし違って感じそうです。素敵な時間をありがとうございました。 硝子宮 氷夏至(少女革命計画) Vsinger ライブが始まった瞬間、胸を打たれるような衝撃が走り、音が鳴り始めると自然と涙があふれました。 カンザキイオリさんの心からの叫びが繊細な物語と交わり、感情が強く揺さぶられました。 音楽や物語と共に静けさと激しさが交錯する世界に包まれて、自分の奥深くまで触れられたような感覚です。 胸が熱くなるような素敵なライブをありがとうございます。 夕凪機(少女革命計画) Vsinger この作品を通して、今まで聴いていたカンザキさんの音楽の中にある核に触れられた気がします。 人の感情に深く入り込むこと、普段は怖く感じてしまうのですが、心が揺さぶられながらどこかあたたかさを感じました。 "自由"の持つ意味、責任、覚悟、自分なりにもっとたくさん考えたいです。 この作品で感じたこと、ずっと忘れません。 素敵な時間をありがとうございました!!!;; 美古途(少女革命計画) Vsinger 戯曲とリアリティのあいだ。生ぬるくて、コンテンポラリーダンスみたいなふれあいをしてて。 その感じが、もう全部投げ出してただ愛に生きたくなるくらいでした。 同じものを絶対に持つことができないから、伝わってしまうという事実が怖いです。 だから、カンザキさんの表現は私にはぜんぶ眩しく見えます。 カンザキさんの作品は、どうやったって関係してしまうような、そんな魅力を感じます。 素敵な作品をありがとうございました! 詩道 シンガー / ギタリスト 表現に関わる人間として、とても刺激を受ける作品でした。 カンザキさんの歌とパフォーマンスからは、どこまでも自分を信じ抜く強い決意と共に、 自然と聴く人の背中を押してくれているような優しさを感じました。 また、Short Filmでは、登場人物の揺れ動く愛や楽曲のキーポイントとなるアイテムが可視化されたことで、 より深くカンザキさんの世界観に触れることができました。 是非、劇場で体験していただきたい作品です。 Guiano 音楽家 Guianoと申します。 この度は、カンザキイオリ 3rd One-Man Memory「自由に捕らわれる。」再上演おめでとうございます! 素晴らしい作品をひとあし先に視聴する機会をいただき、恐悦至極でございます。 この作品は、イオリさんにとって大切な作品であることが、見ただけで伝わってくるような気迫を持っていて、圧倒されました。 彼が今までやりたかったこと、今やりたいこと、今だからできること。 その全てを感じとり、ひとつの歴史としてカンザキイオリを感じることができるのは、この作品をおいて他には無いとさえ思います。 イオリさんを昔から追ってきたファンの方にこそ見てほしいと私は思います。是非劇場へ! Misumi ミュージシャン(DUSTCELL) カンザキイオリくんはいつも創作の刺激を与えてくれる大切な存在です。 今回の「自由に捕らわれる。」は物語と楽曲のライブパフォーマンスが絡み合った全く新しい映像体験でした。 本当に素晴らしかった、ラストは感動なしには見られなかった。 彼は表現をするために生まれてきた男だと思います、これからどんな作品を生み出していくのか楽しみで仕方がない。 同じ時代に生きることができて嬉しいです。たくさんの人に観ていただきたいです。 平田義久 ボカロP この映画は、カンザキイオリという人間の激白だと思いました。 「聞いていいのだろうか」「観ていいのだろうか」とためらうほどに、あまりにも赤裸々で、誠実な激白です。 ときに伝統的な詩的語彙の枠を捨てて、血と汗、 精液までもが入り混じったような生々しい表現が、カンザキさんの皮膚の内側から迸ってきます。 カンザキさんの激白に、あなたも対峙してみてください。 梶裕貴 声優 優しさと狂気。繊細さと凶暴さ。そして、自由に捕らわれる。 そういった矛盾こそ、僕は何より人間らしいアイデンティティと考えます。 本作は、そんな作者の抱える"矛盾の美学"が、これでもかと詰まった作品と言えるかと。 音楽と文筆という、違ったアプローチによる表現法でひとつの物語を構築できる、 カンザキイオリさんならではの世界観を、どうぞ心ゆくまでお楽しみください。 くりたしげたか ニコニコ代表 世の中で大人としてちゃんと日々を生きていくために、何かをあきらめ、心を殺して、 社会性というスーツをまとって過ごしているうちに深く考えるのをやめてしまったこと、 例えば命や自由の理不尽さについて、人を愛することについて、 妥協なく愚直にカンザキイオリは正面から向き合っている。 そこから紡がれる赤裸々な言葉のひとつひとつが、心のやわらかいところに刺さって痛い、苦しい、しんどい。 それでも辛い思いをしているのは自分だけじゃないと感じることができる。 それだけで決して孤独じゃないと思える。自分らしくいてもいいんじゃないかと思える。 遠いところから寄り添っていてくれているみたいだ、まるで月みたいに。 僕はカンザキイオリに出会えて、よかった。 山田悠介 作家 「自由に捕らわれる。」の再上映、おめでとうございます! 『俺の残機を投下します』という作品のPVを制作する際、テーマソングとして「畢生よ」を書き下ろしていただきました。 力強いメロディの中に、揺れ動く主人公の機微が表現されていて、 デモを聴かせていただいた瞬間、心を摑まれたことを今でもはっきり覚えています。 以来、一ファンとして、新曲発表のたびに楽しみにしてきました。 そして「自由に捕らわれる。」は、楽曲はもちろん、昨年の小説や映像も拝見しました。 主人公の懊悩を追いかけるうちに、少しずつ真実が明かされていく巧みな構成に呑み込まれ、気づけばラストの感動に浸っていました。 さらに、このたび再上映される映像では、役者さんたちの見事な演技と カンザキさんの圧巻のパフォーマンスで、原作の魅力を見事に再現されています。 楽曲とともに物語を楽しめるのは、私には真似のできないカンザキさんならではの表現方法であり、羨ましい限りです。 楽曲はもちろん、今後の小説新作も楽しみにしています!! 鈴木貴雄 UNISON SQUARE GARDEN(dr.) 心の中には袋がある。 上手に空気を抜けないとパンパンに膨らみ、いつか銃に変わる。 変わったらもう自分か誰かを殺すしかなくなる。 歌があるおかげで殺さずに済んだ人。 歌というよりもはや日記なのに、そのまま作品になってしまうほどに痛い日々。 痛みを持つ人には寄り添いとなるでしょう。 自立出来る前に出会っていたらこの日記に依存していたかもしれない。 紹介してくれたドラムの関ちゃんには申し訳ないけど、この痛い音楽に俺の痛みをいつかぶつけてみたい。 はらだ 漫画家 生きてて考えることが増えるといつからか必要以上に潔癖になって 感情と倫理の狭間で動きづらくて仕方ない 最前で歌ってくれることへの甘えを良しとするかはともかく 共鳴する表現に救われることってたくさんあって そんな時、改めて自分の選択を肯定できた気になれる この世界観に触れてそう思える人は きっと痛みに寄り添う強さを持ってる 相沢梨紗 タレント 「正しくなければ、賢くなければ、愛されていなければ、お前は不幸だ。」と言われている気がする。 いつもはスルーできるのに、カンザキさんの歌に触れると自分に嘘をつけなくなるようで心が忙しくなる。 私の心の底に沈めていた情緒や記憶や後悔なんかがブワッと湧き上がって、理想の自分を保てなくなった。 さよならを言わせてくれなかったあの人は笑っているかなとかが頭をよぎったけれど、知る術がなくて涙が止まらなかった。 「私はなにで不自由なのかを知りたい。」生きている理由なんて、 そんな感じでいいのかもと思ったら少しだけ自分は駄目じゃないって感じられた。 理想の自分をまた脱ぎたくなったら、この映画を観ようと思う。 AZKi VTuber これまでもカンザキイオリさんの音楽が持つ表現の奥深さに惹かれてきましたが、 「自由に捕らわれる。」はその魅力をさらに立体的に示す作品でした。 音楽が流れた瞬間、私はただその世界に引き込まれるばかりでした。 言葉にならない孤独や葛藤が、旋律となってそっと寄り添い、物語の余韻を深く濃くしてくれます。 カンザキイオリさんの表現の素晴らしさを、改めて深く感じた作品です。 おめがシスターズ おめがリオ バーチャルYouTuber 元々カンザキイオリさんの大ファンで、「自由に捕らわれる。」の楽曲もめちゃくちゃ大好きです!! 自由とはなにか?自分とはだれか?愛とはなにか?を深く考えさせられる作品で見入ってしまいました。 相手の思ってることなんて分からないし、なにが嘘かなにが本当かも分からないし、分からないことだらけだけど、 それでも愛してしまうんだよなぁって思いました。人間ってめんどくさいけど、それが人間というものですね。 色々な感情が湧くのもしんどいけど、全部抱えて死ぬまで人間やっていこう!!素晴らしい作品をありがとうございます!! ロシアン佐藤 料理系大食いYouTuber カンザキさんの作品にふれたとき、自分がかつて抱えていた葛藤や、 蓋をしたまま大人になって忘れていた感情が突然ひらくので苦しい。そして懐かしいです。 過去の自分があって、地続きに今の自分があること。それがチクチクと自分を攻めてくる感覚を覚えます。 今回の作品でも、自分の中で言語化されていない漠然とした感情が映像と音楽によって輪郭を表す感覚が苦しくて、でも心地よかったです。 自分の痛みも苦しみも優しさも抱きしめたくなる作品です。 オクソラ ケイタ グラフィックデザイナー 交じり合う物語、音楽、そして言葉。 カンザキさんが生み出したすべてが、静かに深く僕の感情を縛りつけていきます。 大人ってなんだろう、愛ってなんだろう、自由ってなんだろう。 誰もが一度は捕らわれたことのある、あの痛みや揺らぎが、ここに溢れています。 そしてみんな、カンザキイオリに捕らわれる。愛。 Aimi 監督 再上映という形で、またこの作品がスクリーンにかかることになり、ただただ感無量です。 監督としてではなく、ひとりの観客として改めて観たとき、カンザキさんのストレートに心に訴えかけてくる歌詞と、 琥太郎と姿夜の心情のリンクに、制作時とはまた違う形で胸を打たれました。 それぞれの解釈で、この物語を自由に受け取ってもらえたら嬉しいです。 劇場でこの作品にもう一度出会ってくださるすべての方に、心から感謝を込めて。 大島健 ギタリスト 今回のライブ関連の制作をするにあたって事前に小説を読ませていただきました。 自分に起こった出来事ではないのにどこか覚えのある感情が湧いてきて、読み終わった頃には心が震えていたのを覚えています。 本作品での楽曲アレンジは全て姿夜の琥太郎への想いであり、心の叫びであり、 それをイオリさんやバンドメンバーと話し合いながら紡いでいった時間は何にも代えがたいです。 映像もイオリさんのイメージが見事に形になっていて、スクリーンの中に姿夜と琥太郎が生きていました。 本作「自由に捕らわれる。」の世界観を是非沢山の方に見て、聴いて、感じていただきたいです。 HAO ベーシスト 「自由に捕らわれる。」という言葉の意味をどこまでも考えさせられながらも、 姿夜と琥太郎の関係を通して心の奥底でそれを感じ、イオリさんの歌がそこに説得力を持たせてくれる。 そんな素晴らしい作品です。 川口ケイ キーボーディスト 姿夜とカンザキイオリの叫びがあの頃の僕に手を伸ばし、そっと頭を撫でる。そして、今を生きる僕の背中を優しく押す。 生きることそのものに直向きな時期を愚直に描き、歌う作品だからこそ、人生単位のカタルシスを感じているのかもしれない。 あの頃のもどかしさは、懐かしさと共にここでゆっくりとほどけていた。 関優梨子 ドラマー 私はカンザキイオリ氏と関わらせていただいてから日は浅いものの、 この作品は彼の脳みそのドアを開けて見せてもらっているような、 こんなにも彼自身を見せてもらって良いのだろうかと罪悪感さえ感じてしまうような、そんな等身大の作品のように感じた。 実際にもドアが幾つか出てくるシーンがあるが、まさしくではないかと思う。 あなたがこの作品を最後まで観て抱いた感情をそのままに、映像や音像を頭の中で繰り返し、想い出し、妄想し、 帰路につくと美術館に行った後の様な満足感が得られると私は思う。 そこには正解も不正解もないのだ。 何を想うもやはり"自由"なんだとこの作品が、カンザキイオリが語ってくれている。 ミ子 ヴァイオリニスト ライブパートでのカンザキイオリさんの歌声やバンドの皆さんの演奏は、 ドラマパートの登場人物の中に生まれた感情を音楽で叫んでいるようで、私の行き場のない感情までも解放してくれました。 カンザキイオリさんの音楽や想いに、また新たにこんなにも美しい形で触れることができ、 心に深く残る贅沢な時間を過ごさせていただきました。 針原翼(はりーP) 作曲家 カンザキイオリさん いつもお世話になっております。 まずはこの度の3rd One-Man Memory「自由に捕らわれる。」映像化の発表おめでとうございます。 光栄にも試写会から観覧させていただきました。 誰にも染まらず、悩みぬいた末の孤独を独立させるような、カンザキさんの感性が溢れ出る作品でした。 この世の中は何を求めているのか、自分は何を提示できるのか、常にその問いかけをされている刺激があり、 この先の人生を生きるためのボトム(構築する何か)に投げかけてくるようでした。 爽やかさ、思春期の軽やかさ、恋、熱、純粋、今のカンザキさんにしか作れない傑作だと思います。 事務員G ピアノ演奏者 今回、カンザキ君が選んだ表現手段は「映画」だった。 その作品を見、幾度となく驚嘆を覚えた。「映画風」ではない。 しっかりと「映画」として成立している構造のなかに、 彼のメッセージの結晶である楽曲が挿入され、自由かつ有機的に物語が展開していく。 その構成の自在さと完成度の高さに圧倒され、「これほどのものを……」と、思わず息を呑む瞬間が何度もあった。 「表現者」という言葉に、少なからず戸惑いを覚えた過去がある。 輪郭が曖昧なまま流通するその語に、ある種の胡散臭さを感じたのだ。 何かを創り出していることは確かなのだが、それが具体的に何であるかは明示されない。 その不確かさが、言葉としての信頼性を損なわせているようだった。 しかし、創作の領域が既存の枠組みを超えて拡張されるようになった昨今において、 「表現者」という語が、少しずつ、自分の中で、輪郭を伴った言葉として立ち現れてきた。 「歌い手」や「ボカロP」などといった従来の呼称では、もはや捉えきれない表現活動が、 音楽・映像・言語など複数のメディアを自在に横断して展開される時代において、 その全体を包括する語が、自分の中で求められた結果なのかもしれない。 彼と会うたび、彼はいつも明るく笑っている。 しかしその笑顔の奥には、誰にも語られぬ記憶や感情が、静かに、けれど確かに宿っている。 それこそが、彼の作品に深い陰影と強度を与えているのだと感じる。 映画を観終えた直後、私はLINEで「ほんとすごい」とだけメッセージを送った。 それが、その瞬間に伝え得た、率直な感嘆のすべてだった。 彼は、まるで子どものように無邪気に喜んでくれた。その反応が、かえって胸に残った。 この作品は、彼という存在が、生きて、そして今まで死ななかったからこそ、生まれ得たもの。 「表現者」という言葉が、何の違和感もなく今の自分に馴染んでいるのは、彼の大きな功績なのだ。 事務員G RIRIKO NELKE Gt.&Vo. カンザキイオリは代弁者だと思う。 可能性とか、未来とか、夢とか、色んな類語による「自由」に対してどこか"喜んだフリ"をしている自分自身。 それが彼の音楽にある直接的な言葉選びで輪郭を持っていく。 更には姿夜と琥太郎の二人による欲と葛藤で目に見える形になってしまいそうで、あまりに無垢で、人間で、目を背けたくなった。 そんな共感性のラッシュに時折挟まれる詩的な表現、二人の登場人物の理解し難い行動に一息つけるのかと思いきや、 それは今度「愛の力」なのだと気付く。 誰かを想うとフィクションのような行動だってできてしまうこと、自由に範囲ができること、盲目になること。 結局作品を通した全てに心当たりがあり、それは「自分だけじゃないんだ」という安心感に変わっていった。 おそらくカンザキイオリによる言語化に振り回されている。だからきっとこの代弁者に頼りたくなるのだと思う。 そして今、ここでコメントを終わりにするべきだということに気付く。いち表現者としての嫉妬心が輪郭を持つ前に。 おむたつ イラストレーター この度はこのような機会をいただきありがとうございます。 「自由に捕らわれる。」視聴させていただきました。 台詞の一つ一つが詩的で、シーンの移り行く様がまるで小説のページをめくるように感じられる映像でした。 ドラマの映像とライブの映像が交互に切り替わり続けるのが印象的で、 ドラマパートは静か、けれども心の内の熱さを感じましたが、ライブパートでは逆に熱さの中に哀愁や、もの悲しさも感じられ、、 最終的にはその音楽と映像が混ざり合っていくのがとても美しく感じました。観ていて楽しかったです。 +α/あるふぁきゅん。 アーティスト 冒頭から『あんたは死んだ』への流れに鳥肌が立ちました。 最後まで、音楽を通しての物語に引き込まれました。 ここからは、カンザキイオリという音楽に安息を貰った私個人のお話になります。 私はカンザキイオリさんの音楽を聴くと「“何か”に対して常に怒っている自分」を肯定出来ます。 その“何か”とは、一括りに出来ないほどの様々な出来事があり「私の理解者は私だけ」と諦めていました。 今でもまだ、そうだと言えます。 しかし、カンザキイオリさんの音楽に触れると感情の充溢が抑えられなくなります。 “何か”に対して怒り、悲しみ、諦めている筈なのに抑えられなくなるのです。 誰かに寄り添いたくなるのです。 「諦め」が「欲」に変わる瞬間でした。 「頑固」が「素直」に変わる瞬間でもあります。 私は人間である以上、 欲を抑えつけるなど至極難しい事なのに、素直になり失敗をする勇気よりも、 我慢という名の美意識に縋り、すり換えて、自分に嘘を付いていました。 貴方の音楽を聴いて口ずさむことで気付き、思い出す事が出来ます。 貴方の音楽で忘れていた自分を一瞬でも取り戻せる人が、世の中に沢山いるのだと思います。 上手に生きられない人々の背中を少しでも伸ばしてくれているのだと思います。 最高のLIVE、そして音楽を日々私達に共有して下さること、心から感謝します。 ほとんどファンレター(ラブレター)になってしまいましたね! 最後まで読んで頂き有難う御座いました。 +α/あるふぁきゅん。 煮ル果実 VOCALOID Composer / Track Maker ひとつの総合芸術を見た。 終始心を動かされていた。 カンザキイオリという人間が零す脆くも眩い世界に浸かって、我々受け取り手は様々な感覚を獲得していく。 生々しい感情を剥き出しにした言葉と音を纏い武器のようになった鋭いライブパフォーマンスが、 物語と絶妙なテーマバランスで溶け合いリンクしていく様は、圧巻だった。 『自由に捕らわれる。』 鑑賞前と後で、この言葉に抱いたイメージがこんなに変わるなんて。 美しい余韻と共に、今でも物語の少年に思いを馳せる。 kevin mitsunaga (fhána) アーティスト 誰もが一度は考えるはずだ、”自由”とは何なのか。 どんな道も、手段も、自らの手で選ぶことができる。 …果たして本当にそうだろうか? 綺麗事に塗り固められた”自由”と、どうしようもなく僕らを縛る”制約”の狭間で揺れる僕らの繊細な感情を、 エモーショナルなライブ演奏が優しく代弁してくれているようだ。 答えなどない。 でも、生きるのがどうしようもなく下手な僕たちのための道標はすぐ傍に在る。 そう、この作品のように。 nero 歌い手 作品に没頭するために部屋を真っ暗にして爆音で鑑賞させていただきました。 映画でありライブである。そのふたつが見事にリンクしている新感覚の体験をさせてもらいました。 登場人物達の悩みや葛藤が展開されていく中でそれを表現している歌パートはまるで ライブに来ているかのような臨場感でストーリーが進むにつれて カンザキさんの感情も深く激しくなっていくような印象を受けとても引き込まれました。 見終わったときに家ではなく映画館で観てみたいと思ったことと、可能ならばいつか生でも観てみたいなと強く思いました。 カンザキイオリにしか表現できない唯一無二の世界観をこれからも楽しみにしております。 Kuroyabu Takuya アーティスト / 作曲家 叙情的なショートフィルムとこれでもかと突き刺すような圧巻のライブ。 その二つが掛け算になって感情に畳み掛けてくるようで、見終わった後は味わったことのない余韻がしばらく続いていました。 決して他では味わえない、心に沁み込むような素敵な作品です。 アメリ 音楽作家 思わず感情を揺さぶられる作品でした。 タイトルから想像していたイメージが覆され、心の奥にしまっていた感情がふと顔を出すような感覚に包まれました。 目を逸らすという行為の中にも答えがあるのだと気づかされ、 従来の形式やジャンルに囚われない表現が、とても美しくどこかに響いてくるようでした。 un:c 歌い手 「自由に捕らわれる。」再上映おめでとうございます! 拝見し、カンザキさんの歌声と物語に強く揺さぶられました。 人とは何か、普通とは、自由とは――そんな問いに向き合わせてもらえたような気持ちです。 渋滞のような感情に戸惑い、自分は他の人とはズレているのではと不安になることがあります。 でも、もしかしたら誰もがそういう思いを抱えていて、 自分だけじゃないのかもしれない、とカンザキさんの歌を通じて思いました。 ガラスペンのシーンが好きです。 二人の大切な日々が一枚ずつ積み重なっていくような安心感がありながら、 そのままでいてほしいのに、次の瞬間には消えてしまいそうな儚さがとても素敵でした。 素晴らしい音楽と映像を有難うございます。拝見できたことを幸せに思います。 長棟航平 映画監督 2024年11月17日 なんばパークスシネマで「自由に捕らわれる。」を観た。 私の知っているカンザキイオリは、明るいひょうきん者で、早口でよく喋るお兄ちゃんだ。 だけど「自由に捕らわれる。」を観たら印象が大きく変わってしまった。 彼はすごく繊細で少し凶暴で、答えのない何かに対して音楽と文学で戦い続ける戦士のようだった。 エンドロールが終わって、隣の席に座っているカンザキイオリに”どうでした?”と問われた。 「んー、、ドムドムバーガー好きなの?」と私は訳のわからない質問で返してしまった。 あのときは少し緊張してたんだと思う。今ならちゃんと答えれる、最高の作品だったよって。 モリスレイ 歌い手 毛細管現象のように、この作品に触れた瞬間から感情が吸い上げられていきます。 憤り、喜び、焦り、安らぎ、苦しみ、慈しみ。 そしてその全部にイオリさんの歌が寄り添い、彩ってくれます。 すべてを混ぜ合わせたインクの入ったガラスペンを携えて、 僕はこれからも自由と戦っていくのだと思いました。 吉乃 歌い手 自由という名の不自由と向き合いながら、歳を重ねるごとにのしかかる生への責任を背負い込みながら、 生きて、もがいてみようと思えた作品でした。 会いたかった、会いたくなかった。 知りたかった、知りたくなかった。 愛したかった、愛されたかった。 そんなことばかりの人生を、明日も自分で作っていくんだと思います。 カンザキイオリさんの楽曲の良さのひとつとして「人間らしさ」がありますが、 パフォーマンスシーンではこれでもかと言うほど色とりどりの欲と情動を浴びることができ、 とてつもない満足感でした。 jon-YAKITORY アーティスト カンザキイオリさんが全力で「自分を知ってくれ」と言っているように僕には聞こえて、 僕も「全力で受け止めなければ」と、そう思える作品でした。 ライブパートのエモーショナルな表現は、この作品を観る人を信頼してるからこそできるもので、 それにあてられて自然とこちら側の心も開かされます。 純粋であり繊細で、可愛げもあり危うさもあるが、エネルギッシュ。 観た後にダウナーにならず、けれどもジーンと浸り考えられる良い作品だと思います。 ドラマでの主人公の感情の、喜怒哀楽という単語だけでは表せられないグラデーションの部分を、音楽で僕らに自然に落とし込んでくれる。 まるで一緒に夢を見ているような、微睡みを共有しているような、そんな気分にさせて貰えます。 あともっと個人的になことを言えば、楽しく踊りながら歌うカンザキイオリさんを見れてとても嬉しかったです。 スーツ姿で踊り歌う所もGood! 是 ボカロP 誰かの苦しみを俯瞰しているようで、それが自分の人生にも密接したものだと気付かされる瞬間が 鑑賞中何度もありました。 カンザキさんが書かれる剥き出しの言葉は、そんな放ったらかしていた感情に真っ直ぐ向き合わせてくれるから好きです。 コバソロ 音楽プロデューサー 映像の中で楽曲と言葉が互いに噛み合って火花を散らし、物語が血肉になる瞬間に鳥肌が立ちました。 自由から生まれる不自由、その矛盾を抱き締めて歌い切るカンザキイオリさんの覚悟に、嫉妬と敬意を込めて拍手を送ります。 さぶろう Mixing Engineer 「大人への希望、羨望、絶望」といった一種の祈りのような、崇拝のような感情が織りなす、 この世に様々な形できっと沢山あるであろう物語の1つを覗いたようでした。 大人と子供、自由と服従、愛情と愛情。 そんな支配と被支配の関係における複雑な気持ちの交差を両面から歌詞と映像に落とし込んだ力に感服するばかりです。 カンザキイオリさんの歌声は心の叫びを時には激情的に、 時にはぽつりと溢し、時にはコミカルに表現していて、 声色1つでここまで内側から湧いて出るものを伝えることができるのかと。 あっという間の2時間でした。 何かが欠けたまま成長してしまったと自覚のある大人と、何かが欠けたまま大人になりたくないと思う子供は不思議と引き合うものですね。 そんな2人にはハッピーエンドが用意されていて欲しいと切に願います。本当に。切実に。 こはならむ シンガー カンザキイオリさんの音楽は、うまく言葉にできなかった感情を代弁してくれるようで、私にとってとても大切な存在です。 だからこそ、その世界観を映像で観てみたいと思い、今回映画を観させて頂きました。 言葉の選び方や表現が映像に溶け込んでいて、大切な人が触れた机や紙さえも愛おしく思えるような、そんな優しさと痛みを感じる作品で、心に深く残りました。 観終わった今も、心のどこかが静かに揺れている気がします。 また音楽を聴くたびに、大切なものをそっと思い出させてくれるような、そんな映画だと思います。 LowFat(FantasticYouth) Composer 【自由】という言葉を検索すると、「他からの束縛を受けず、自分の思うままにふるまえること。」 肝心なお前こそが束縛してくるのだ。 そんな現代社会の矛盾を否定し、許容し、抗い、理解する。 決して華麗ではないのかもしれない、しかし不器用ながらも生きていくんだといういおりんの魂のビブラートを感じる作品でした。 歳を重ねるとともに様々な理を読み捉え、そしてついには自由を捕らえる姿夜のように、 最後に笑えるように歩いて、歌って、踊っていきたいものです。 Migu(つきみぐー、) 音楽クリエイター / 声優 / Vsinger アーティスト"カンザキイオリ"にしか描けない世界がたしかにそこにありました。 カンザキイオリの唯一無二とも言える音楽の根底にはどんな人生観があるのか、 それぞれ楽曲に込められた想いと共に、その一端に深く触れることができる映像作品です。 アヤハラヨウ シンガーソングライター / ミュージシャン 「不自由の中にしか自由は存在しない」 まさにこの言葉を象徴する様な映画だったと思います。 大小様々な出来事が波の様に次々と押し寄せる 「人生」という物語の中で 人は各々が願う自由を求めて 水槽の中で大海を想う魚の様に懸命に生きている たとえ僕が壊れていても 人間としては不良品だったとしても 映画の美しさとカンザキさんの音楽が 「君はそれで構わないんだよ」と 言ってくれているかの様な 魔法の様な2時間でした。 グミ山(キツネリ) ボカロP ひょんな共通点で意気投合して以来、たまに顔を合わせると、いつもとても優しく声をかけてくれます。 試写で拝見したとき、そんなイオリさんが目の前で日記を読んでくれているようで、思わずドキドキしてしまいました。 原作とはまた違った熱を帯びた語り口は、イオリさん自身の愛に満ちた自己開示そのもので、 そのあまりの素直さにこちらの心まで覗かれてしまうような、そんな作品だと思います。 N-Roach(キツネリ) ボカロP 個人の叫びは本質的に他者に伝えきることは出来ないと考えていた私にとって、この作品は非常に衝撃的でした。 この作品からは、物語の中の主人公(あるいはカンザキさん)が心の中に抱いた叫びの意味だけでなく、 その叫びの持つ手触りや体温までも受け取ることができたからです。 物語では、個人がどのように世界を見たかを描くことに重点が置かれています。 しかし、この作品はそれを受け手と決して交わることのない他者の話としては終わらせません。 カンザキイオリさん自身が彼の身体をもって、劇中の「カンザキイオリ」という登場人物でありながら、 同時に我々の世界に実在する存在として現れることで、我々の現実と物語の世界を霊媒師的に繋ぎ、 物語の中の叫びが確かに存在するものだという実感を観る者に与えています。 物語の世界とは根本的には交わることができないはずの我々を、彼の感じ方を伴って物語の世界に巻き込んでくれるのです。 この作品で展開されるコミュニケーションを可能にするアイデアや、 それを実現する卓越した技巧の素晴らしさは言うまでもありませんが、 これほどまでに受け手の感受性を信頼した愛のある作品は見たことがありません。 物語や音楽、映像が好きな方だけでなく、コミュニケーションに興味がある方にもぜひ観て頂きたいです。 すこっぷ ボカロP / 作曲家 人生は自由が故に何が正しいのか迷い、どうすれば良いのかわからないことが往々にしてある。 時には自分の感情すらもわからなくなり、気持ちのやり場に困ってしまう。 だからこそ大切なものに気付けるというのがどれだけ尊く、かけがえのないものなのか、 カンザキイオリさんの描く物語が教えてくれた気がします。 うみくん 歌い手 / ボカロP 焼けつくようなストーリーと白昼夢のような映像世界と体温を感じる声がただそこにありました。 これが音楽なんだと、これが歌なんだと、これが生きることなんだと 五感を通してヒリヒリと受け取る人の体に流れ込んでくる、そんな時間がそこにありました。 見届けた人の心のなかの薪に、優しくでも決して押しつけがましくない炎を灯してくれると感じました。 皆様も是非ご自身の全細胞で体感してみて頂ければと思いました。 ユウキP ボカロP / 医師 医師として日々命と向き合い、音楽家として感情の奥底を探り続ける私にとって、この映画は危険なほど生々しく心に沁み込んできた。 劇中で流れる音楽は、優しくも容赦なく、自分が見ないふりをしてきた孤独や葛藤を脳内から引きずり出す。 観終えた後、私は静かな吐息とともに気付いた。自由とは最も甘く、そして最も苦い毒だったのだと。 おしら ボイストレーナー 小説と音楽、映像が重なる独特の世界観に惹き込まれました。 今回の作品の元になった小説『自由に捕らわれる。』も先に拝読していたので、 挿入される楽曲の歌詞がストーリーの心情や展開と深くリンクしていて、何度も胸が締めつけられました。 カンザキイオリさんの歌声は、泣きながら語りかけてくるような繊細さと迫力があり、 登場人物たちの感情そのものに聴こえて、強く心を揺さぶられました。 いよ クリエイター 名前のない苦しさや孤独。誰にも見せられない感情が映像と音楽の中で描かれていて、自分の気持ちを見つめ直すような時間でした。 カンザキイオリさんの楽曲が、物語の空気や登場人物の心の温度を、より強く、深く伝えてくれました。 R Sound Design 音楽家 / 医師 この作品を観終わったとき、圧倒的な質量の一つの「生き方」を提示されたように感じた。 巧に表現された生と死の描写の中で、見終わるころには自分自身の「生き方」についても考えずにはいられなかった。 少し時間をおいて、繰り返し観たい。そのときはきっとまた違った観方ができるから。そんな作品だった。 黒野京 イラストレーター 絶対観たいと思っていた作品をようやく拝見できました。 心からありがとうとお伝えします。 一言で言えばあまりにも「いおりんそのもの」で、映像のひとつひとつに彼の生命が宿っており、 どこをとっても「これが私の作品です」と静かに主張する、強い意志と繊細さがありました。 シナリオと合わせて差し込まれる楽曲には言葉にできない衝動を感じ、これは感動というよりも、もっと静かで確かな共鳴でした。 次に会えたときには、いおりんを抱きしめたいと思います。 この世界を生き抜いて、この作品を僕等の前に差し出してくれて、本当にありがとう! てにをは ミュージシャン / 小説家 歌唱パフォーマンス、展開されるドラマパート、いずれにも面映いと云ってもいいほどの実直さが溢れています。 その実直さが、年齢を重ねてすっかり生きることの“コツ”を掴んだ気になっている僕にこう訴えかけてきます。 「痛みに強くなったふりするな! それってただ麻痺してるだけじゃないのか?」 きっとカンザキ君はいくら水で溶いても決して薄まらない『思春期の絵の具』を隠し持っているに違いない。 秦千香子 ボイストレーナー / レコーディングディレクター なんで大きな声で泣いちゃいけないんだっけか どうして顔真っ赤にして怒ったらカッコ悪いんだっけか ディズニーランドの帰り、在来線に乗り換える瞬間 魔法が解けた顔でぬいぐるみのカチューシャを外してしまう人たちみたいに 大人の仲間入りを果たそうとする頃に皆そそくさと激情を脱いで畳んでしまう そのうちわけもわからず暴れていた想いたちは静かになって もしかしてもう死んでしまったかもしれないけど 罪悪感でそれをしまった箱を開けることさえ躊躇われるようになってしまう カンザキイオリはいつも怒っている、そして泣いている 飼い慣らすにはあまりに苦しいその激情たちの居場所を必死で作り続け 飼い慣らすにはあまりに獰猛なその激情たちを一生懸命愛しているように思える とめどない赤裸々な言葉にして、涙交じりのメロディーにして 私が手放してしまった、そこにしかないはずの宝物を もう一度示してくれているように思える それがこんなに眩しいものだったなんて あなたが歌ってくれなかったら気づけなかったかもしれない 素敵な作品を本当にありがとうございました ササフネ 音楽家 あなたがくれるその優しさは、消えてしまうことをどこかで悟っているから、分け与えてくれるのだろうか。 あなたがくれるその温かさは、いつか別れが訪れたとき、その思い出で暖を取り、乗り越えるためにあるのだろうか。 自由は与えられるものではなく、自ら望んで手にしていくものでありたい。 あやふやであった"自由"という言葉の受け取り方を、この作品は教えてくれました。 ライブシーンのパフォーマンスも圧巻です。 Noz. ボカロP ストーリーとライブパフォーマンスを交互に織りなす中で、2つをリンクさせるようなフレーズも所々に落とし込まれていて、 それらが世界観をより強固で鮮明なものにしているように感じました。 自由に生きるとは何か。自由に人を愛するとは何か。 そんな誰の人生にも当たり前に存在するような"自由"というものについて、とても深いところまで見つめらている作品です。 S!N 歌い手 生の葛藤を目と耳で十二分に楽しむことが出来る作品でした。音楽に触れる、歌を聴く、小説を読む、映画を観る。 様々な形で昇華されたカンザキイオリさんの作品ひとつひとつに心動かされて、羨ましくなって、死にたくなります。 殿部ゆい グラフィックデザイナー “自由”と“捕らわれる”。相反するこの言葉に、どうしようもなく惹かれてしまうのは、 きっと思春期のあの感情を、まだどこかに残しているからだと思います。 本作の歌詞と楽曲に触れたとき、あの頃の胸の震えが、静かに戻ってきました。 冒頭で姿夜が語る“自由”についての独白を追いながら、 「自由を選ぶこと」と「自由を強いられること」のあいだで揺れる感情に、知らず引き込まれていた気がします。 熱を帯びた楽曲に背中を押され、閉じていた何かがふっと緩んでいくような、そんな体験でした。 今回のポスターデザインでは、“捕らわれる”というニュアンスの視覚化をメインに、 クロスのカットに、その矛盾と美しさを込めています。 「自由に捕らわれる。」 この言葉のもつ確かな力に触れ、そんな本作に携われたことを心から光栄に思います。 この作品に関われたこと、そのすべてに感謝しています。 yuju 映像制作者 学生時代、『命に嫌われている。』でカンザキさんに出会った私は、 もれなく『自由に捕らわれる。』も大好きになって何回も何回も聴いていました。 自分はこれから社会人になろうとしていた時期だったので、歌詞がもうグサグサと刺さってきて、 それに感化されて、『自由に捕らわれる。』の自主制作MVを作ったりして、 それを気になる企業に持ち込んだりしていました。就活が始まってもいないのに。 『自由に捕らわれる。』が映像作品になると知った時、驚きと嬉しさでいっぱいでした。 小説版も拝読し、涙していた自分は、この作品を映像作品として味わえるというのは、 映像制作者の端くれとして楽しみで仕方がありませんでした。 今作はLiveではなくて、Memoryという表題になっていて、 ライブと映画が融合されたような今回の形式を巧く表しているなと思いました。 映画パートで揺さぶられた感情を、ライブパートで増幅させながらも、 なんとか心の中に収めてくれるような、これまであまり味わったことのない映像体験でした。 セトリがですね、良いのです。 その感情になっている時、その曲が来る感じで。 ウオ~ありがとうございます。という感じになります。 カンザキさんの創作を、またさらに好きになってしまいました。 花雪 映像クリエイター 視聴させていただきました。 圧巻のパフォーマンスと名曲の数々で、胸を打たれました。 ショートフィルムも併せて、これまでにないカタルシスを得られる作品だと思います。 結局、家族って、愛って、生きるって、死ぬって、何なんでしょうか。 なんて思いを巡らせられる作品でした。 私の語彙力ではかけらも表せないので、ぜひご視聴ください。 かなしの ピクセルアーティスト カンザキイオリさんの作品は、まっすぐな言葉で心の真ん中を突き刺してくるようなストレートさがあって好きです。 本作でも、単に美しいだけの愛ではなくて、人間の生々しい手触りや、 世界への切実な叫びが描かれていて、等身大の人生や魂が映し出されるような感覚に胸を打たれました。 担当編集者 河出書房新社 小説の執筆をご相談している段階で、本映像のアイデアをお聞きしました。 その時点で、アーティスト自らの試みとして驚きましたが、 小説の原稿が上がって編集がスタートする傍ら、映像脚本を拝見して、その斬新さ、 想いの強さに圧倒されましたし、出来上がった映像の素晴らしさに度肝を抜かれました。 頭の中にあった世界が、小説刊行前に、著者本人の力によって、楽曲として、映像として、 形になっていくことは、カンザキさんならではの表現方法であり、とても素晴らしく感動しました。 また、それを見事に形にしてくださった監督のAimiさま、キャストの塩﨑さま、古屋さま、 ほか本作に関わってくださったすべての関係者の皆さまには、ただただ感謝するばかりです。 小説刊行時に発表された本映像が全国で公開され、より多くの皆さまに観ていただけるのは嬉しい限りです。 音楽、小説、映像で表現された「自由に捕らわれる。」をぜひご堪能ください!
3rd One-Man Memory「自由に捕らわれる。」
ご視聴コメント一覧
再上映を記念し様々な分野のアーティストやクリエイターの皆さまよりご視聴コメントをご寄稿頂きました。(ご紹介は順不同です)
花譜
自分でさえ計り知れない怒りやさみしさ、憎しみ、愛しさ。
どうしたって消えない感情を抱えたまま、大好きな人の隣でどこまでも安心してしまうような一瞬。
不安定で曖昧な心の機微を、繊細に奥の奥まで映すような物語と、
身体中に巡る衝動をそのまま音と言葉にしたようなカンザキさんの歌が、継ぎ目なく繰り広げられていって、
気づいたときにはカンザキさんの世界に覆われているみたいな、映画のようなライブでした。
むき出しの魂に目がはなせなくなったり逸らしたくなったりしながら、
やっぱりカンザキさんの歌はどこまでもカンザキさんそのもので、
張り詰めた気持ちに雪崩を引き起こすような凄まじいパワーは、カンザキさんが歌うことでしか生まれないと思います。
そして「ここでしか見られないカンザキイオリ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
!!!!!!!!!」な、
新鮮でカッコ良すぎるお姿もたくさん見られて、嬉しかった…知れば知るほど好きになっていく。ずっと大きな背中や…( ; ; )
理芽
真の「自由」とは何か、「自由」とどう向き合っていくべきか、
自分に問いかけながらその答え合わせをしていくように没入してしまった。
ある種の天才教材かと思うほどに。
織り成す音楽と物語が溶け合いすぎて境界が見えない、まるでミュージカルを鑑賞しているような感覚に包まれた。
飛びたいと願いもがいても羽ばたき方を知らなければ空は飛べないし、
急に解き放たれてもどこへ向かえば良いのか分からない。
今まで鳥籠は「束縛」だと思っていたけれど実は守られた「自由」だったのかもしれない。
無責任なわがままを「自由」と履き違えていたのかもしれない。
自由=Freedom?
それともLiberty?
きっと正解はない。
けれど、きっと「自由」になるための「制限」がそこにはあるのだろう。
きっとこれからも私は「自由に捕らわれる。」
カンザキさん、最高。
春猿火
「自由に捕らわれる。」再上映決定おめでとう御座います。
自分はまずこの「自由に捕らわれる。」という楽曲がずっと大好きで、
この楽曲の中にある芯の情景をこの映像作品として見た時に、
自分の中にある感情が湧き上がってくる感覚がありました。
人と心を通わす事、向き合う事、難しい事、
ドラマや音楽を通して想いの温度を感じる作品でした。
そしてカンザキイオリさんが届ける物語と音楽が連動した
新しい映像体験はきっと皆さんにも響くはずです。
是非ご覧頂きたい作品です。
春猿火
幸祜
皆様こんにちは、KAMITSUBAKI STUDIO所属の幸祜です。
カンザキイオリ 3rd One-Man Memory「自由に捕らわれる。」を視聴させていただきました。
カンザキくんが紡ぎ出す楽曲とshort filmのリンクした演出に衝撃を受けました。
まるで心の中を覗かせてもらっているようで、綺麗でもない嘘でもない、
いや本物なのかすら分からない"人の感情"という目に見えない物が
ストーリーとなって目に焼き付きました。
そしてこのMemoryを見終えた後、私はそっとベランダに出たくなって夜の風を浴びました。
きっと私は家の中にいるのがすごく窮屈だったんだなと気付き、
何か動き出したくなる衝動にかられたんです。
それはカンザキくんの心の声が音楽と歌声、
そして叫びとなって私の中の蓋をしていた"感情"に脈を打ってきました。
皆様もきっと気付かぬうちに蓋をしている"何かの感情"が動かされる最高の作品です。
カンザキくん、ありがとう。
幸祜
CHINO
「自由」ってなんだろう。
私が小学生の頃、色んな遊びを教えてくれたり、生徒同士の争いごとにも寛容で、
いつも朗らかで頼りになる大好きだった先生が、「自由の裏には責任がある」という言葉を教えてくれました。
大人になることや自由だからこそ抱える不安があることを微塵も知らなかった当時の私は、
その言葉の意味を分かっていたようで全然理解していなくて、ただ漠然と「大人って自由でいいなぁ」と憧れを抱いていました。
作品を観ていく中で、そんな幼い頃の自分をふと思い出しました。
映像・物語が進むと共にカンザキさんの音楽に刺激を受け、何より「生」を感じる歌声に涙し、
カンザキさんの言葉や歌に触れる度に、何を見て、感じて、生きてこられたんだろうと、
どう生きてこられたらこんなにも美しい詩を紡げるのだろうと考えさせられます。
作品を通して、縛られる苦しさや歯がゆい感情から自由を求めることも、
縛られていた方が心地よいからと自由を求めないことも、
結局は「自由」というものに捕らわれてしまうということなのかもしれないと感じたのと同時に、
自由であることの楽しさも苦しさも抱えながら、自分の気持ちにもっと丁寧に寄り添って生きていきたいと思えました。
素敵な作品を世に生んでくださってありがとうございます。
そしてこの場を借りて改めてお礼を言わせてください。
カンザキさんに楽曲提供していただいた「乙女的サイコパシー」と「奪還シンデレラ」は、
私たちVALISにとってとても思い出深い楽曲です。
一生の宝物を本当にありがとうございます…!
この先もずっとカンザキさんの紡ぐ世界を楽しみに、そして益々のご活躍を心からお祈りしております。
NEFFY
3rd One-Man Memory「自由に捕らわれる。」の上映おめでとうございます!
カンザキさんの楽曲や歌声から感じることのできる情景がショートフィルムでのストーリーによって更に鮮明に感じられて、
自然と自らの人生や価値観も振り返ってしまうような圧巻のひとときでした!
カンザキさんの楽曲はどの曲も言葉で言い表せないような人間の心の奥深い本音を掴まれるような感覚になれて大好きです✨
素敵な作品がもっともっとたくさんの方に届きますように…♡
MYU
カンザキさんの楽曲と映像が丁寧に呼応し合い、「自由に捕らわれる。」というテーマが強く伝わってきました。
感情の揺れや余白が際立ち、すごく惹き込まれました。
個人の物語だけでなく、誰の中にもある感覚として響いてくるような普遍性もあり、何度でも見返したくなりました。
VITTE
3rd One-Man Memory「自由に捕らわれる。」 上映おめでとうございます㌨ですッッ❕😸♡
入りから最後まで 本当に思わずずっと見入ってしまう映画で 、
カンザキイオリさんの音楽の意味がより強く伝わってきて最高でしたにゃん ……❕😿♡
"自由"について 音楽で人に伝えることが出来る感情の無限の可能性について
すごく考えることの出来る作品です❕😼♡
RARA
カンザキイオリさんの3rd One-Man Memory『自由に捕らわれる。』
この作品が再びスクリーンに戻ってくること。
とても尊く、そしてとても嬉しく思います。
ストーリーとライブが交差する構成がとても印象的で、
物語には心の深層へと静かに潜っていくような没入感があり、
想いや痛みに寄り添いながら響いてくる歌の力に強く惹き込まれました。
魂がそのまま叫んでいるかのような歌声、歌詞の深さ、全身で歌う姿から溢れ出る表現力の凄まじさ、
音楽と感情が一体になっていく様子に圧倒されるばかりでした。
心の奥底で抱えている感情たちを歌うその姿には、深く共感し、時に発見させられ、自然と涙が溢れました。
自分自身も奮い立たされましたし、アーティストとしての尊敬が止まりません。
この作品に出会えたことに、心から感謝しています。
そしてこの作品とカンザキさんの歌が、多くの方々の心に届くことをそっと願っています。
佳鏡院(少女革命計画)
「自由に捕らわれる。」再上映決定、おめでとうございます!
楽曲と繋がりのあるショートフィルムと、ショートフィルムの内容にリンクするような衣装や照明、
舞台セットを用いたライブシーンを行き来することで、これまで楽曲や小説を単独で楽しんでいた時よりも、
音楽の奥に人の生活を、想いをより強く感じることができる作品だと思います。
力強い音楽と繊細な映像がカンザキイオリさんの紡ぐ言葉によって重なり合い、自分の大好きな楽曲たちが彩られて行く。
そんな素敵な映像作品を是非、映画館で体験してみてください。
御莉姫(少女革命計画)
自分の内側にある言葉にならない蟠りや、
見て見ぬふりをしてしまうような感情にそっと触れてくるような楽曲は、
苦しさや孤独といった自分の心の痛みと向き合う感覚です。
でもそのネガティブな感情さえも肯定して貰えているような温かい気持ちになりました。
小説と音楽を組み合わせた構成や演出はまるで映画を見ているような没入感で、感情を揺さぶられました。
硝子宮(少女革命計画)
カンザキイオリさん、3rd One-Man Memory「自由に捕らわれる。」の再上映おめでとうございます。
「自由」とは「愛」とは何か、深く考えさせられる素敵な作品でした。
そして、Short Filmとカンザキさんの歌が交互に切り替わる構図が
夢を通して他の人の人生を覗いているようで、気付いたら涙が出ていました。
明日から、視える世界がすこし違って感じそうです。素敵な時間をありがとうございました。
硝子宮
氷夏至(少女革命計画)
ライブが始まった瞬間、胸を打たれるような衝撃が走り、音が鳴り始めると自然と涙があふれました。
カンザキイオリさんの心からの叫びが繊細な物語と交わり、感情が強く揺さぶられました。
音楽や物語と共に静けさと激しさが交錯する世界に包まれて、自分の奥深くまで触れられたような感覚です。
胸が熱くなるような素敵なライブをありがとうございます。
夕凪機(少女革命計画)
この作品を通して、今まで聴いていたカンザキさんの音楽の中にある核に触れられた気がします。
人の感情に深く入り込むこと、普段は怖く感じてしまうのですが、心が揺さぶられながらどこかあたたかさを感じました。
"自由"の持つ意味、責任、覚悟、自分なりにもっとたくさん考えたいです。
この作品で感じたこと、ずっと忘れません。
素敵な時間をありがとうございました!!!;;
美古途(少女革命計画)
戯曲とリアリティのあいだ。生ぬるくて、コンテンポラリーダンスみたいなふれあいをしてて。
その感じが、もう全部投げ出してただ愛に生きたくなるくらいでした。
同じものを絶対に持つことができないから、伝わってしまうという事実が怖いです。
だから、カンザキさんの表現は私にはぜんぶ眩しく見えます。
カンザキさんの作品は、どうやったって関係してしまうような、そんな魅力を感じます。
素敵な作品をありがとうございました!
詩道
表現に関わる人間として、とても刺激を受ける作品でした。
カンザキさんの歌とパフォーマンスからは、どこまでも自分を信じ抜く強い決意と共に、
自然と聴く人の背中を押してくれているような優しさを感じました。
また、Short Filmでは、登場人物の揺れ動く愛や楽曲のキーポイントとなるアイテムが可視化されたことで、
より深くカンザキさんの世界観に触れることができました。
是非、劇場で体験していただきたい作品です。
Guiano
Guianoと申します。
この度は、カンザキイオリ 3rd One-Man Memory「自由に捕らわれる。」再上演おめでとうございます!
素晴らしい作品をひとあし先に視聴する機会をいただき、恐悦至極でございます。
この作品は、イオリさんにとって大切な作品であることが、見ただけで伝わってくるような気迫を持っていて、圧倒されました。
彼が今までやりたかったこと、今やりたいこと、今だからできること。
その全てを感じとり、ひとつの歴史としてカンザキイオリを感じることができるのは、この作品をおいて他には無いとさえ思います。
イオリさんを昔から追ってきたファンの方にこそ見てほしいと私は思います。是非劇場へ!
Misumi
カンザキイオリくんはいつも創作の刺激を与えてくれる大切な存在です。
今回の「自由に捕らわれる。」は物語と楽曲のライブパフォーマンスが絡み合った全く新しい映像体験でした。
本当に素晴らしかった、ラストは感動なしには見られなかった。
彼は表現をするために生まれてきた男だと思います、これからどんな作品を生み出していくのか楽しみで仕方がない。
同じ時代に生きることができて嬉しいです。たくさんの人に観ていただきたいです。
平田義久
この映画は、カンザキイオリという人間の激白だと思いました。
「聞いていいのだろうか」「観ていいのだろうか」とためらうほどに、あまりにも赤裸々で、誠実な激白です。
ときに伝統的な詩的語彙の枠を捨てて、血と汗、
精液までもが入り混じったような生々しい表現が、カンザキさんの皮膚の内側から迸ってきます。
カンザキさんの激白に、あなたも対峙してみてください。
梶裕貴
優しさと狂気。繊細さと凶暴さ。そして、自由に捕らわれる。
そういった矛盾こそ、僕は何より人間らしいアイデンティティと考えます。
本作は、そんな作者の抱える"矛盾の美学"が、これでもかと詰まった作品と言えるかと。
音楽と文筆という、違ったアプローチによる表現法でひとつの物語を構築できる、
カンザキイオリさんならではの世界観を、どうぞ心ゆくまでお楽しみください。
くりたしげたか
世の中で大人としてちゃんと日々を生きていくために、何かをあきらめ、心を殺して、
社会性というスーツをまとって過ごしているうちに深く考えるのをやめてしまったこと、
例えば命や自由の理不尽さについて、人を愛することについて、
妥協なく愚直にカンザキイオリは正面から向き合っている。
そこから紡がれる赤裸々な言葉のひとつひとつが、心のやわらかいところに刺さって痛い、苦しい、しんどい。
それでも辛い思いをしているのは自分だけじゃないと感じることができる。
それだけで決して孤独じゃないと思える。自分らしくいてもいいんじゃないかと思える。
遠いところから寄り添っていてくれているみたいだ、まるで月みたいに。
僕はカンザキイオリに出会えて、よかった。
山田悠介
「自由に捕らわれる。」の再上映、おめでとうございます!
『俺の残機を投下します』という作品のPVを制作する際、テーマソングとして「畢生よ」を書き下ろしていただきました。
力強いメロディの中に、揺れ動く主人公の機微が表現されていて、
デモを聴かせていただいた瞬間、心を摑まれたことを今でもはっきり覚えています。
以来、一ファンとして、新曲発表のたびに楽しみにしてきました。
そして「自由に捕らわれる。」は、楽曲はもちろん、昨年の小説や映像も拝見しました。
主人公の懊悩を追いかけるうちに、少しずつ真実が明かされていく巧みな構成に呑み込まれ、気づけばラストの感動に浸っていました。
さらに、このたび再上映される映像では、役者さんたちの見事な演技と
カンザキさんの圧巻のパフォーマンスで、原作の魅力を見事に再現されています。
楽曲とともに物語を楽しめるのは、私には真似のできないカンザキさんならではの表現方法であり、羨ましい限りです。
楽曲はもちろん、今後の小説新作も楽しみにしています!!
鈴木貴雄
心の中には袋がある。
上手に空気を抜けないとパンパンに膨らみ、いつか銃に変わる。
変わったらもう自分か誰かを殺すしかなくなる。
歌があるおかげで殺さずに済んだ人。
歌というよりもはや日記なのに、そのまま作品になってしまうほどに痛い日々。
痛みを持つ人には寄り添いとなるでしょう。
自立出来る前に出会っていたらこの日記に依存していたかもしれない。
紹介してくれたドラムの関ちゃんには申し訳ないけど、この痛い音楽に俺の痛みをいつかぶつけてみたい。
はらだ
生きてて考えることが増えるといつからか必要以上に潔癖になって
感情と倫理の狭間で動きづらくて仕方ない
最前で歌ってくれることへの甘えを良しとするかはともかく
共鳴する表現に救われることってたくさんあって
そんな時、改めて自分の選択を肯定できた気になれる
この世界観に触れてそう思える人は
きっと痛みに寄り添う強さを持ってる
相沢梨紗
「正しくなければ、賢くなければ、愛されていなければ、お前は不幸だ。」と言われている気がする。
いつもはスルーできるのに、カンザキさんの歌に触れると自分に嘘をつけなくなるようで心が忙しくなる。
私の心の底に沈めていた情緒や記憶や後悔なんかがブワッと湧き上がって、理想の自分を保てなくなった。
さよならを言わせてくれなかったあの人は笑っているかなとかが頭をよぎったけれど、知る術がなくて涙が止まらなかった。
「私はなにで不自由なのかを知りたい。」生きている理由なんて、
そんな感じでいいのかもと思ったら少しだけ自分は駄目じゃないって感じられた。
理想の自分をまた脱ぎたくなったら、この映画を観ようと思う。
AZKi
これまでもカンザキイオリさんの音楽が持つ表現の奥深さに惹かれてきましたが、
「自由に捕らわれる。」はその魅力をさらに立体的に示す作品でした。
音楽が流れた瞬間、私はただその世界に引き込まれるばかりでした。
言葉にならない孤独や葛藤が、旋律となってそっと寄り添い、物語の余韻を深く濃くしてくれます。
カンザキイオリさんの表現の素晴らしさを、改めて深く感じた作品です。
おめがシスターズ おめがリオ
元々カンザキイオリさんの大ファンで、「自由に捕らわれる。」の楽曲もめちゃくちゃ大好きです!!
自由とはなにか?自分とはだれか?愛とはなにか?を深く考えさせられる作品で見入ってしまいました。
相手の思ってることなんて分からないし、なにが嘘かなにが本当かも分からないし、分からないことだらけだけど、
それでも愛してしまうんだよなぁって思いました。人間ってめんどくさいけど、それが人間というものですね。
色々な感情が湧くのもしんどいけど、全部抱えて死ぬまで人間やっていこう!!素晴らしい作品をありがとうございます!!
ロシアン佐藤
カンザキさんの作品にふれたとき、自分がかつて抱えていた葛藤や、
蓋をしたまま大人になって忘れていた感情が突然ひらくので苦しい。そして懐かしいです。
過去の自分があって、地続きに今の自分があること。それがチクチクと自分を攻めてくる感覚を覚えます。
今回の作品でも、自分の中で言語化されていない漠然とした感情が映像と音楽によって輪郭を表す感覚が苦しくて、でも心地よかったです。
自分の痛みも苦しみも優しさも抱きしめたくなる作品です。
オクソラ ケイタ
交じり合う物語、音楽、そして言葉。
カンザキさんが生み出したすべてが、静かに深く僕の感情を縛りつけていきます。
大人ってなんだろう、愛ってなんだろう、自由ってなんだろう。
誰もが一度は捕らわれたことのある、あの痛みや揺らぎが、ここに溢れています。
そしてみんな、カンザキイオリに捕らわれる。愛。
Aimi
再上映という形で、またこの作品がスクリーンにかかることになり、ただただ感無量です。
監督としてではなく、ひとりの観客として改めて観たとき、カンザキさんのストレートに心に訴えかけてくる歌詞と、
琥太郎と姿夜の心情のリンクに、制作時とはまた違う形で胸を打たれました。
それぞれの解釈で、この物語を自由に受け取ってもらえたら嬉しいです。
劇場でこの作品にもう一度出会ってくださるすべての方に、心から感謝を込めて。
大島健
今回のライブ関連の制作をするにあたって事前に小説を読ませていただきました。
自分に起こった出来事ではないのにどこか覚えのある感情が湧いてきて、読み終わった頃には心が震えていたのを覚えています。
本作品での楽曲アレンジは全て姿夜の琥太郎への想いであり、心の叫びであり、
それをイオリさんやバンドメンバーと話し合いながら紡いでいった時間は何にも代えがたいです。
映像もイオリさんのイメージが見事に形になっていて、スクリーンの中に姿夜と琥太郎が生きていました。
本作「自由に捕らわれる。」の世界観を是非沢山の方に見て、聴いて、感じていただきたいです。
HAO
「自由に捕らわれる。」という言葉の意味をどこまでも考えさせられながらも、
姿夜と琥太郎の関係を通して心の奥底でそれを感じ、イオリさんの歌がそこに説得力を持たせてくれる。
そんな素晴らしい作品です。
川口ケイ
姿夜とカンザキイオリの叫びがあの頃の僕に手を伸ばし、そっと頭を撫でる。そして、今を生きる僕の背中を優しく押す。
生きることそのものに直向きな時期を愚直に描き、歌う作品だからこそ、人生単位のカタルシスを感じているのかもしれない。
あの頃のもどかしさは、懐かしさと共にここでゆっくりとほどけていた。
関優梨子
私はカンザキイオリ氏と関わらせていただいてから日は浅いものの、
この作品は彼の脳みそのドアを開けて見せてもらっているような、
こんなにも彼自身を見せてもらって良いのだろうかと罪悪感さえ感じてしまうような、そんな等身大の作品のように感じた。
実際にもドアが幾つか出てくるシーンがあるが、まさしくではないかと思う。
あなたがこの作品を最後まで観て抱いた感情をそのままに、映像や音像を頭の中で繰り返し、想い出し、妄想し、
帰路につくと美術館に行った後の様な満足感が得られると私は思う。
そこには正解も不正解もないのだ。
何を想うもやはり"自由"なんだとこの作品が、カンザキイオリが語ってくれている。
ミ子
ライブパートでのカンザキイオリさんの歌声やバンドの皆さんの演奏は、
ドラマパートの登場人物の中に生まれた感情を音楽で叫んでいるようで、私の行き場のない感情までも解放してくれました。
カンザキイオリさんの音楽や想いに、また新たにこんなにも美しい形で触れることができ、
心に深く残る贅沢な時間を過ごさせていただきました。
針原翼(はりーP)
カンザキイオリさん
いつもお世話になっております。
まずはこの度の3rd One-Man Memory「自由に捕らわれる。」映像化の発表おめでとうございます。
光栄にも試写会から観覧させていただきました。
誰にも染まらず、悩みぬいた末の孤独を独立させるような、カンザキさんの感性が溢れ出る作品でした。
この世の中は何を求めているのか、自分は何を提示できるのか、常にその問いかけをされている刺激があり、
この先の人生を生きるためのボトム(構築する何か)に投げかけてくるようでした。
爽やかさ、思春期の軽やかさ、恋、熱、純粋、今のカンザキさんにしか作れない傑作だと思います。
事務員G
今回、カンザキ君が選んだ表現手段は「映画」だった。
その作品を見、幾度となく驚嘆を覚えた。「映画風」ではない。
しっかりと「映画」として成立している構造のなかに、
彼のメッセージの結晶である楽曲が挿入され、自由かつ有機的に物語が展開していく。
その構成の自在さと完成度の高さに圧倒され、「これほどのものを……」と、思わず息を呑む瞬間が何度もあった。
「表現者」という言葉に、少なからず戸惑いを覚えた過去がある。
輪郭が曖昧なまま流通するその語に、ある種の胡散臭さを感じたのだ。
何かを創り出していることは確かなのだが、それが具体的に何であるかは明示されない。
その不確かさが、言葉としての信頼性を損なわせているようだった。
しかし、創作の領域が既存の枠組みを超えて拡張されるようになった昨今において、
「表現者」という語が、少しずつ、自分の中で、輪郭を伴った言葉として立ち現れてきた。
「歌い手」や「ボカロP」などといった従来の呼称では、もはや捉えきれない表現活動が、
音楽・映像・言語など複数のメディアを自在に横断して展開される時代において、
その全体を包括する語が、自分の中で求められた結果なのかもしれない。
彼と会うたび、彼はいつも明るく笑っている。
しかしその笑顔の奥には、誰にも語られぬ記憶や感情が、静かに、けれど確かに宿っている。
それこそが、彼の作品に深い陰影と強度を与えているのだと感じる。
映画を観終えた直後、私はLINEで「ほんとすごい」とだけメッセージを送った。
それが、その瞬間に伝え得た、率直な感嘆のすべてだった。
彼は、まるで子どものように無邪気に喜んでくれた。その反応が、かえって胸に残った。
この作品は、彼という存在が、生きて、そして今まで死ななかったからこそ、生まれ得たもの。
「表現者」という言葉が、何の違和感もなく今の自分に馴染んでいるのは、彼の大きな功績なのだ。
事務員G
RIRIKO
カンザキイオリは代弁者だと思う。
可能性とか、未来とか、夢とか、色んな類語による「自由」に対してどこか"喜んだフリ"をしている自分自身。
それが彼の音楽にある直接的な言葉選びで輪郭を持っていく。
更には姿夜と琥太郎の二人による欲と葛藤で目に見える形になってしまいそうで、あまりに無垢で、人間で、目を背けたくなった。
そんな共感性のラッシュに時折挟まれる詩的な表現、二人の登場人物の理解し難い行動に一息つけるのかと思いきや、
それは今度「愛の力」なのだと気付く。
誰かを想うとフィクションのような行動だってできてしまうこと、自由に範囲ができること、盲目になること。
結局作品を通した全てに心当たりがあり、それは「自分だけじゃないんだ」という安心感に変わっていった。
おそらくカンザキイオリによる言語化に振り回されている。だからきっとこの代弁者に頼りたくなるのだと思う。
そして今、ここでコメントを終わりにするべきだということに気付く。いち表現者としての嫉妬心が輪郭を持つ前に。
おむたつ
この度はこのような機会をいただきありがとうございます。
「自由に捕らわれる。」視聴させていただきました。
台詞の一つ一つが詩的で、シーンの移り行く様がまるで小説のページをめくるように感じられる映像でした。
ドラマの映像とライブの映像が交互に切り替わり続けるのが印象的で、
ドラマパートは静か、けれども心の内の熱さを感じましたが、ライブパートでは逆に熱さの中に哀愁や、もの悲しさも感じられ、、
最終的にはその音楽と映像が混ざり合っていくのがとても美しく感じました。観ていて楽しかったです。
+α/あるふぁきゅん。
冒頭から『あんたは死んだ』への流れに鳥肌が立ちました。
最後まで、音楽を通しての物語に引き込まれました。
ここからは、カンザキイオリという音楽に安息を貰った私個人のお話になります。
私はカンザキイオリさんの音楽を聴くと「“何か”に対して常に怒っている自分」を肯定出来ます。
その“何か”とは、一括りに出来ないほどの様々な出来事があり「私の理解者は私だけ」と諦めていました。
今でもまだ、そうだと言えます。
しかし、カンザキイオリさんの音楽に触れると感情の充溢が抑えられなくなります。
“何か”に対して怒り、悲しみ、諦めている筈なのに抑えられなくなるのです。
誰かに寄り添いたくなるのです。
「諦め」が「欲」に変わる瞬間でした。
「頑固」が「素直」に変わる瞬間でもあります。
私は人間である以上、
欲を抑えつけるなど至極難しい事なのに、素直になり失敗をする勇気よりも、
我慢という名の美意識に縋り、すり換えて、自分に嘘を付いていました。
貴方の音楽を聴いて口ずさむことで気付き、思い出す事が出来ます。
貴方の音楽で忘れていた自分を一瞬でも取り戻せる人が、世の中に沢山いるのだと思います。
上手に生きられない人々の背中を少しでも伸ばしてくれているのだと思います。
最高のLIVE、そして音楽を日々私達に共有して下さること、心から感謝します。
ほとんどファンレター(ラブレター)になってしまいましたね!
最後まで読んで頂き有難う御座いました。
+α/あるふぁきゅん。
煮ル果実
ひとつの総合芸術を見た。
終始心を動かされていた。
カンザキイオリという人間が零す脆くも眩い世界に浸かって、我々受け取り手は様々な感覚を獲得していく。
生々しい感情を剥き出しにした言葉と音を纏い武器のようになった鋭いライブパフォーマンスが、
物語と絶妙なテーマバランスで溶け合いリンクしていく様は、圧巻だった。
『自由に捕らわれる。』
鑑賞前と後で、この言葉に抱いたイメージがこんなに変わるなんて。
美しい余韻と共に、今でも物語の少年に思いを馳せる。
kevin mitsunaga (fhána)
誰もが一度は考えるはずだ、”自由”とは何なのか。
どんな道も、手段も、自らの手で選ぶことができる。
…果たして本当にそうだろうか?
綺麗事に塗り固められた”自由”と、どうしようもなく僕らを縛る”制約”の狭間で揺れる僕らの繊細な感情を、
エモーショナルなライブ演奏が優しく代弁してくれているようだ。
答えなどない。
でも、生きるのがどうしようもなく下手な僕たちのための道標はすぐ傍に在る。
そう、この作品のように。
nero
作品に没頭するために部屋を真っ暗にして爆音で鑑賞させていただきました。
映画でありライブである。そのふたつが見事にリンクしている新感覚の体験をさせてもらいました。
登場人物達の悩みや葛藤が展開されていく中でそれを表現している歌パートはまるで
ライブに来ているかのような臨場感でストーリーが進むにつれて
カンザキさんの感情も深く激しくなっていくような印象を受けとても引き込まれました。
見終わったときに家ではなく映画館で観てみたいと思ったことと、可能ならばいつか生でも観てみたいなと強く思いました。
カンザキイオリにしか表現できない唯一無二の世界観をこれからも楽しみにしております。
Kuroyabu Takuya
叙情的なショートフィルムとこれでもかと突き刺すような圧巻のライブ。
その二つが掛け算になって感情に畳み掛けてくるようで、見終わった後は味わったことのない余韻がしばらく続いていました。
決して他では味わえない、心に沁み込むような素敵な作品です。
アメリ
思わず感情を揺さぶられる作品でした。
タイトルから想像していたイメージが覆され、心の奥にしまっていた感情がふと顔を出すような感覚に包まれました。
目を逸らすという行為の中にも答えがあるのだと気づかされ、
従来の形式やジャンルに囚われない表現が、とても美しくどこかに響いてくるようでした。
un:c
「自由に捕らわれる。」再上映おめでとうございます!
拝見し、カンザキさんの歌声と物語に強く揺さぶられました。
人とは何か、普通とは、自由とは――そんな問いに向き合わせてもらえたような気持ちです。
渋滞のような感情に戸惑い、自分は他の人とはズレているのではと不安になることがあります。
でも、もしかしたら誰もがそういう思いを抱えていて、
自分だけじゃないのかもしれない、とカンザキさんの歌を通じて思いました。
ガラスペンのシーンが好きです。
二人の大切な日々が一枚ずつ積み重なっていくような安心感がありながら、
そのままでいてほしいのに、次の瞬間には消えてしまいそうな儚さがとても素敵でした。
素晴らしい音楽と映像を有難うございます。拝見できたことを幸せに思います。
長棟航平
2024年11月17日 なんばパークスシネマで「自由に捕らわれる。」を観た。
私の知っているカンザキイオリは、明るいひょうきん者で、早口でよく喋るお兄ちゃんだ。
だけど「自由に捕らわれる。」を観たら印象が大きく変わってしまった。
彼はすごく繊細で少し凶暴で、答えのない何かに対して音楽と文学で戦い続ける戦士のようだった。
エンドロールが終わって、隣の席に座っているカンザキイオリに”どうでした?”と問われた。
「んー、、ドムドムバーガー好きなの?」と私は訳のわからない質問で返してしまった。
あのときは少し緊張してたんだと思う。今ならちゃんと答えれる、最高の作品だったよって。
モリスレイ
毛細管現象のように、この作品に触れた瞬間から感情が吸い上げられていきます。
憤り、喜び、焦り、安らぎ、苦しみ、慈しみ。
そしてその全部にイオリさんの歌が寄り添い、彩ってくれます。
すべてを混ぜ合わせたインクの入ったガラスペンを携えて、
僕はこれからも自由と戦っていくのだと思いました。
吉乃
自由という名の不自由と向き合いながら、歳を重ねるごとにのしかかる生への責任を背負い込みながら、
生きて、もがいてみようと思えた作品でした。
会いたかった、会いたくなかった。
知りたかった、知りたくなかった。
愛したかった、愛されたかった。
そんなことばかりの人生を、明日も自分で作っていくんだと思います。
カンザキイオリさんの楽曲の良さのひとつとして「人間らしさ」がありますが、
パフォーマンスシーンではこれでもかと言うほど色とりどりの欲と情動を浴びることができ、
とてつもない満足感でした。
jon-YAKITORY
カンザキイオリさんが全力で「自分を知ってくれ」と言っているように僕には聞こえて、
僕も「全力で受け止めなければ」と、そう思える作品でした。
ライブパートのエモーショナルな表現は、この作品を観る人を信頼してるからこそできるもので、
それにあてられて自然とこちら側の心も開かされます。
純粋であり繊細で、可愛げもあり危うさもあるが、エネルギッシュ。
観た後にダウナーにならず、けれどもジーンと浸り考えられる良い作品だと思います。
ドラマでの主人公の感情の、喜怒哀楽という単語だけでは表せられないグラデーションの部分を、音楽で僕らに自然に落とし込んでくれる。
まるで一緒に夢を見ているような、微睡みを共有しているような、そんな気分にさせて貰えます。
あともっと個人的になことを言えば、楽しく踊りながら歌うカンザキイオリさんを見れてとても嬉しかったです。
スーツ姿で踊り歌う所もGood!
是
誰かの苦しみを俯瞰しているようで、それが自分の人生にも密接したものだと気付かされる瞬間が 鑑賞中何度もありました。
カンザキさんが書かれる剥き出しの言葉は、そんな放ったらかしていた感情に真っ直ぐ向き合わせてくれるから好きです。
コバソロ
映像の中で楽曲と言葉が互いに噛み合って火花を散らし、物語が血肉になる瞬間に鳥肌が立ちました。
自由から生まれる不自由、その矛盾を抱き締めて歌い切るカンザキイオリさんの覚悟に、嫉妬と敬意を込めて拍手を送ります。
さぶろう
「大人への希望、羨望、絶望」といった一種の祈りのような、崇拝のような感情が織りなす、
この世に様々な形できっと沢山あるであろう物語の1つを覗いたようでした。
大人と子供、自由と服従、愛情と愛情。
そんな支配と被支配の関係における複雑な気持ちの交差を両面から歌詞と映像に落とし込んだ力に感服するばかりです。
カンザキイオリさんの歌声は心の叫びを時には激情的に、
時にはぽつりと溢し、時にはコミカルに表現していて、
声色1つでここまで内側から湧いて出るものを伝えることができるのかと。
あっという間の2時間でした。
何かが欠けたまま成長してしまったと自覚のある大人と、何かが欠けたまま大人になりたくないと思う子供は不思議と引き合うものですね。
そんな2人にはハッピーエンドが用意されていて欲しいと切に願います。本当に。切実に。
こはならむ
カンザキイオリさんの音楽は、うまく言葉にできなかった感情を代弁してくれるようで、私にとってとても大切な存在です。
だからこそ、その世界観を映像で観てみたいと思い、今回映画を観させて頂きました。
言葉の選び方や表現が映像に溶け込んでいて、大切な人が触れた机や紙さえも愛おしく思えるような、そんな優しさと痛みを感じる作品で、心に深く残りました。
観終わった今も、心のどこかが静かに揺れている気がします。
また音楽を聴くたびに、大切なものをそっと思い出させてくれるような、そんな映画だと思います。
LowFat(FantasticYouth)
【自由】という言葉を検索すると、「他からの束縛を受けず、自分の思うままにふるまえること。」
肝心なお前こそが束縛してくるのだ。
そんな現代社会の矛盾を否定し、許容し、抗い、理解する。
決して華麗ではないのかもしれない、しかし不器用ながらも生きていくんだといういおりんの魂のビブラートを感じる作品でした。
歳を重ねるとともに様々な理を読み捉え、そしてついには自由を捕らえる姿夜のように、
最後に笑えるように歩いて、歌って、踊っていきたいものです。
Migu(つきみぐー、)
アーティスト"カンザキイオリ"にしか描けない世界がたしかにそこにありました。
カンザキイオリの唯一無二とも言える音楽の根底にはどんな人生観があるのか、
それぞれ楽曲に込められた想いと共に、その一端に深く触れることができる映像作品です。
アヤハラヨウ
「不自由の中にしか自由は存在しない」
まさにこの言葉を象徴する様な映画だったと思います。
大小様々な出来事が波の様に次々と押し寄せる
「人生」という物語の中で
人は各々が願う自由を求めて
水槽の中で大海を想う魚の様に懸命に生きている
たとえ僕が壊れていても
人間としては不良品だったとしても
映画の美しさとカンザキさんの音楽が
「君はそれで構わないんだよ」と
言ってくれているかの様な
魔法の様な2時間でした。
グミ山(キツネリ)
ひょんな共通点で意気投合して以来、たまに顔を合わせると、いつもとても優しく声をかけてくれます。
試写で拝見したとき、そんなイオリさんが目の前で日記を読んでくれているようで、思わずドキドキしてしまいました。
原作とはまた違った熱を帯びた語り口は、イオリさん自身の愛に満ちた自己開示そのもので、
そのあまりの素直さにこちらの心まで覗かれてしまうような、そんな作品だと思います。
N-Roach(キツネリ)
個人の叫びは本質的に他者に伝えきることは出来ないと考えていた私にとって、この作品は非常に衝撃的でした。
この作品からは、物語の中の主人公(あるいはカンザキさん)が心の中に抱いた叫びの意味だけでなく、
その叫びの持つ手触りや体温までも受け取ることができたからです。
物語では、個人がどのように世界を見たかを描くことに重点が置かれています。
しかし、この作品はそれを受け手と決して交わることのない他者の話としては終わらせません。
カンザキイオリさん自身が彼の身体をもって、劇中の「カンザキイオリ」という登場人物でありながら、
同時に我々の世界に実在する存在として現れることで、我々の現実と物語の世界を霊媒師的に繋ぎ、
物語の中の叫びが確かに存在するものだという実感を観る者に与えています。
物語の世界とは根本的には交わることができないはずの我々を、彼の感じ方を伴って物語の世界に巻き込んでくれるのです。
この作品で展開されるコミュニケーションを可能にするアイデアや、
それを実現する卓越した技巧の素晴らしさは言うまでもありませんが、
これほどまでに受け手の感受性を信頼した愛のある作品は見たことがありません。
物語や音楽、映像が好きな方だけでなく、コミュニケーションに興味がある方にもぜひ観て頂きたいです。
すこっぷ
人生は自由が故に何が正しいのか迷い、どうすれば良いのかわからないことが往々にしてある。
時には自分の感情すらもわからなくなり、気持ちのやり場に困ってしまう。
だからこそ大切なものに気付けるというのがどれだけ尊く、かけがえのないものなのか、
カンザキイオリさんの描く物語が教えてくれた気がします。
うみくん
焼けつくようなストーリーと白昼夢のような映像世界と体温を感じる声がただそこにありました。
これが音楽なんだと、これが歌なんだと、これが生きることなんだと
五感を通してヒリヒリと受け取る人の体に流れ込んでくる、そんな時間がそこにありました。
見届けた人の心のなかの薪に、優しくでも決して押しつけがましくない炎を灯してくれると感じました。
皆様も是非ご自身の全細胞で体感してみて頂ければと思いました。
ユウキP
医師として日々命と向き合い、音楽家として感情の奥底を探り続ける私にとって、この映画は危険なほど生々しく心に沁み込んできた。
劇中で流れる音楽は、優しくも容赦なく、自分が見ないふりをしてきた孤独や葛藤を脳内から引きずり出す。
観終えた後、私は静かな吐息とともに気付いた。自由とは最も甘く、そして最も苦い毒だったのだと。
おしら
小説と音楽、映像が重なる独特の世界観に惹き込まれました。
今回の作品の元になった小説『自由に捕らわれる。』も先に拝読していたので、
挿入される楽曲の歌詞がストーリーの心情や展開と深くリンクしていて、何度も胸が締めつけられました。
カンザキイオリさんの歌声は、泣きながら語りかけてくるような繊細さと迫力があり、
登場人物たちの感情そのものに聴こえて、強く心を揺さぶられました。
いよ
名前のない苦しさや孤独。誰にも見せられない感情が映像と音楽の中で描かれていて、自分の気持ちを見つめ直すような時間でした。
カンザキイオリさんの楽曲が、物語の空気や登場人物の心の温度を、より強く、深く伝えてくれました。
R Sound Design
この作品を観終わったとき、圧倒的な質量の一つの「生き方」を提示されたように感じた。
巧に表現された生と死の描写の中で、見終わるころには自分自身の「生き方」についても考えずにはいられなかった。
少し時間をおいて、繰り返し観たい。そのときはきっとまた違った観方ができるから。そんな作品だった。
黒野京
絶対観たいと思っていた作品をようやく拝見できました。
心からありがとうとお伝えします。
一言で言えばあまりにも「いおりんそのもの」で、映像のひとつひとつに彼の生命が宿っており、
どこをとっても「これが私の作品です」と静かに主張する、強い意志と繊細さがありました。
シナリオと合わせて差し込まれる楽曲には言葉にできない衝動を感じ、これは感動というよりも、もっと静かで確かな共鳴でした。
次に会えたときには、いおりんを抱きしめたいと思います。
この世界を生き抜いて、この作品を僕等の前に差し出してくれて、本当にありがとう!
てにをは
歌唱パフォーマンス、展開されるドラマパート、いずれにも面映いと云ってもいいほどの実直さが溢れています。
その実直さが、年齢を重ねてすっかり生きることの“コツ”を掴んだ気になっている僕にこう訴えかけてきます。
「痛みに強くなったふりするな! それってただ麻痺してるだけじゃないのか?」
きっとカンザキ君はいくら水で溶いても決して薄まらない『思春期の絵の具』を隠し持っているに違いない。
秦千香子
なんで大きな声で泣いちゃいけないんだっけか
どうして顔真っ赤にして怒ったらカッコ悪いんだっけか
ディズニーランドの帰り、在来線に乗り換える瞬間
魔法が解けた顔でぬいぐるみのカチューシャを外してしまう人たちみたいに
大人の仲間入りを果たそうとする頃に皆そそくさと激情を脱いで畳んでしまう
そのうちわけもわからず暴れていた想いたちは静かになって
もしかしてもう死んでしまったかもしれないけど
罪悪感でそれをしまった箱を開けることさえ躊躇われるようになってしまう
カンザキイオリはいつも怒っている、そして泣いている
飼い慣らすにはあまりに苦しいその激情たちの居場所を必死で作り続け
飼い慣らすにはあまりに獰猛なその激情たちを一生懸命愛しているように思える
とめどない赤裸々な言葉にして、涙交じりのメロディーにして
私が手放してしまった、そこにしかないはずの宝物を
もう一度示してくれているように思える
それがこんなに眩しいものだったなんて
あなたが歌ってくれなかったら気づけなかったかもしれない
素敵な作品を本当にありがとうございました
ササフネ
あなたがくれるその優しさは、消えてしまうことをどこかで悟っているから、分け与えてくれるのだろうか。
あなたがくれるその温かさは、いつか別れが訪れたとき、その思い出で暖を取り、乗り越えるためにあるのだろうか。
自由は与えられるものではなく、自ら望んで手にしていくものでありたい。
あやふやであった"自由"という言葉の受け取り方を、この作品は教えてくれました。
ライブシーンのパフォーマンスも圧巻です。
Noz.
ストーリーとライブパフォーマンスを交互に織りなす中で、2つをリンクさせるようなフレーズも所々に落とし込まれていて、
それらが世界観をより強固で鮮明なものにしているように感じました。
自由に生きるとは何か。自由に人を愛するとは何か。
そんな誰の人生にも当たり前に存在するような"自由"というものについて、とても深いところまで見つめらている作品です。
S!N
生の葛藤を目と耳で十二分に楽しむことが出来る作品でした。音楽に触れる、歌を聴く、小説を読む、映画を観る。
様々な形で昇華されたカンザキイオリさんの作品ひとつひとつに心動かされて、羨ましくなって、死にたくなります。
殿部ゆい
“自由”と“捕らわれる”。相反するこの言葉に、どうしようもなく惹かれてしまうのは、
きっと思春期のあの感情を、まだどこかに残しているからだと思います。
本作の歌詞と楽曲に触れたとき、あの頃の胸の震えが、静かに戻ってきました。
冒頭で姿夜が語る“自由”についての独白を追いながら、
「自由を選ぶこと」と「自由を強いられること」のあいだで揺れる感情に、知らず引き込まれていた気がします。
熱を帯びた楽曲に背中を押され、閉じていた何かがふっと緩んでいくような、そんな体験でした。
今回のポスターデザインでは、“捕らわれる”というニュアンスの視覚化をメインに、
クロスのカットに、その矛盾と美しさを込めています。
「自由に捕らわれる。」
この言葉のもつ確かな力に触れ、そんな本作に携われたことを心から光栄に思います。
この作品に関われたこと、そのすべてに感謝しています。
yuju
学生時代、『命に嫌われている。』でカンザキさんに出会った私は、
もれなく『自由に捕らわれる。』も大好きになって何回も何回も聴いていました。
自分はこれから社会人になろうとしていた時期だったので、歌詞がもうグサグサと刺さってきて、
それに感化されて、『自由に捕らわれる。』の自主制作MVを作ったりして、
それを気になる企業に持ち込んだりしていました。就活が始まってもいないのに。
『自由に捕らわれる。』が映像作品になると知った時、驚きと嬉しさでいっぱいでした。
小説版も拝読し、涙していた自分は、この作品を映像作品として味わえるというのは、
映像制作者の端くれとして楽しみで仕方がありませんでした。
今作はLiveではなくて、Memoryという表題になっていて、
ライブと映画が融合されたような今回の形式を巧く表しているなと思いました。
映画パートで揺さぶられた感情を、ライブパートで増幅させながらも、
なんとか心の中に収めてくれるような、これまであまり味わったことのない映像体験でした。
セトリがですね、良いのです。
その感情になっている時、その曲が来る感じで。
ウオ~ありがとうございます。という感じになります。
カンザキさんの創作を、またさらに好きになってしまいました。
花雪
視聴させていただきました。
圧巻のパフォーマンスと名曲の数々で、胸を打たれました。
ショートフィルムも併せて、これまでにないカタルシスを得られる作品だと思います。
結局、家族って、愛って、生きるって、死ぬって、何なんでしょうか。
なんて思いを巡らせられる作品でした。
私の語彙力ではかけらも表せないので、ぜひご視聴ください。
かなしの
カンザキイオリさんの作品は、まっすぐな言葉で心の真ん中を突き刺してくるようなストレートさがあって好きです。
本作でも、単に美しいだけの愛ではなくて、人間の生々しい手触りや、
世界への切実な叫びが描かれていて、等身大の人生や魂が映し出されるような感覚に胸を打たれました。
担当編集者
小説の執筆をご相談している段階で、本映像のアイデアをお聞きしました。
その時点で、アーティスト自らの試みとして驚きましたが、
小説の原稿が上がって編集がスタートする傍ら、映像脚本を拝見して、その斬新さ、
想いの強さに圧倒されましたし、出来上がった映像の素晴らしさに度肝を抜かれました。
頭の中にあった世界が、小説刊行前に、著者本人の力によって、楽曲として、映像として、
形になっていくことは、カンザキさんならではの表現方法であり、とても素晴らしく感動しました。
また、それを見事に形にしてくださった監督のAimiさま、キャストの塩﨑さま、古屋さま、
ほか本作に関わってくださったすべての関係者の皆さまには、ただただ感謝するばかりです。
小説刊行時に発表された本映像が全国で公開され、より多くの皆さまに観ていただけるのは嬉しい限りです。
音楽、小説、映像で表現された「自由に捕らわれる。」をぜひご堪能ください!